● 【シガmemo】写真の儀式

毎年、これくらいの時期になると背後から視線を感じて振り返る、ということがよくある。

振り返ったところで、誰もいない。

こんなことが続くのは、いつも決まって「お盆だ。」ということに気がついた。

おじいちゃんか、おとうさんか、ご先祖さんか…

どちらにせよ、心霊現象のような怖さは全くない。

あっちの世界が近寄ってくるのかなぁ、などと思ったりする。

 

わたしは毎年、自分の誕生日に自分の遺影を撮影していた。

かれこれ10年ほど続けるうちに、写真を撮ること自体が「儀式」になった。

段取りして算段を済ませ、ようやく撮影が終われば、ちょっとした達成感さえ感じる。

「いやいやぁ〜今年も無事にやり遂げましたね」みたいな。

この場合、シャッターを切る前後の余韻全部が写真なんだなぁと思えてくる。

 

なんでこんなことを始めたのか、という話は長くなりそうなのでやめにしますが、

やっているうちに気づくこともあるもんで、

死に際を考えた末の行動が、むしろ生命力を掻き立てている。

そうだった、人生は有限なんだと。

その気づきが重要で、遺影かどうかはどうでもよくなった。

 

しょーじき、「もうやめようかな」と毎年思うし、果たすのが億劫でしかたない。

でもやったほうがいいことを知っているから、続けてる。

来年のことはわからない。

やめるかもしれないし、やっぱり撮るのかもしれない。

始めから、いついつまで続けようとするものは案外続かないのかもしれない。

 

と、答えのないことを考えるのに拍車のかかる夏の夜。

きっと今この瞬間の積み重ねなんだろう、と締めっぽいことを書いておこう。

 

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